西求女塚古墳の「菟原処女の伝説」とは?意外と凄い古墳

西求女塚古墳(〒657-0844 兵庫県神戸市灘区都通3丁目1−17)

昭和39年までは個人の私有地で邸宅として利用されていましたが、神戸市が買取公園として整備を行っています

万葉集や大和物語で登場する「菟原処女の伝説」の舞台として、等間隔に並ぶ西求女塚古墳 ・処女塚古墳・東求女塚古墳の一つでもあります

名称 西求女塚古墳
住所 〒657-0844 兵庫県神戸市灘区都通3丁目1−17
地図

西求女塚古墳が作られたのが弥生時代~奈良時代にかけてのことです

古墳の形は前方後方墳で当時作られたものの中でも最大級のものになります

 

目次

前方後方墳とは

前方後方墳

前方後方墳

 

当時は葺石が全面に並べられていた古墳になります

 

よく見る前方後円墳とは違い円の部分が四角のものになります

  • 前方後円墳⇒大和朝廷
  • 前方後方墳⇒大和朝廷と敵対していたグループに多い

とされています

 

公園に整備されていますので、古墳の上を歩いて散歩できます

 

後方墳になる部分

 

卑弥呼と西求塚古墳の関係

卑弥呼

実は1993年、神戸市灘区の西求女塚には中国の魏の皇帝から女王卑弥呼がもらったとされている三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)が7面見つかっています

 

菟原処女の伝説とは

いにしえのますらおとこのあいきおひ つまどひしけむ あしのやの うないおとめの おくつきを わが立ち見れば ながき世の 語りにしつつ のちひとの しのひにせむと たまほこの 道の辺へ近く 岩構へ 作れる塚を 天雲の そきへの極み この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ 或る人は 音にも泣きつつ 語り継ぎ 偲ひ継ぎ来る 処女らが 奥つ城所 我さへに 見れば悲しも いにしえ思へば

竹田男(ささだおのこ)と血沼丈夫(ちぬのますらお)が芦屋に住むお嬢様菟名日処女(うないのおとめ)を取り合ったが勝負がつかずに女性が悩み抜いて川に身を投げ、争った二人もお互いに殺し合ったという寂しいお話です

そのお墓が等間隔に並ぶ西求女塚古墳 ・処女塚古墳・東求女塚古墳とも言われています

 

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